手段を手放す
↑これが楽ちんで、行きたい場所にたどり着ける近道
”手段を手放す”、これは、本当にいろんな人に何度も言われていることでもあるけれど、
実感として。
・・・例えば、ある企画。
うん、面倒くさい。
初めはそう感じたけれど、本当にそうかな?
私は、どうしたい?どうありたい?と問いかけたときに、
何で面倒くさそうかと感じたか?を直視して、では、それがどんなふうに形になっていったらいいなと感じているのかを感じた。
そして、企画内容に関しては、ひらめいたことをラフな状態で全体に投げかけてみた。
後は、みんなの希望が吸収されて、あっという間に洗練されて形になっていった。
みんなができることをできる範囲で自然に担当して、納得して形になったのではないかと感じた。誰も責任のなすりつけをしていないし、強制もしていないし、されもしない。そして、お互いがお互いの提案を認めあっていたし、意見を出し合い、それが調和のうちで反映されていった感じだった。
それは、私が初めにそうなったらいいなという形で形成されていった。私は、手段については何も関知せず、ただ、結果を思い浮かべて、私がやりたいと感じたことを無理のない範囲でやっただけで、頭にあったことが洗練されて目の前に出てきた!それは、他のみんなも、そうであってほしいと思っていたのではないかな?と思うような展開であった。
どんなパターンにでも展開されうる事例だけれど、
私は、一番初めに、一度立ち止まって、私が一番選びたい画面を選んで、それを体験した。
そんな風・・・。
こういう現実創造は、個人的な事例では実感としてあったけれど、それが、チーム、多数であっても同じという感覚になりつつある。
だから、これも・・・、
みんながみんな、個性を充分に発揮して、輝いていて、調和している世界。
それを知っているという感覚でずっと来ている、私の中の確信のようなもの。
何かを頑張ってそうしようとしていた時とは違い、そうであると確信しているような感覚で、頑張ることを手放したら、
今回みたいに、知らないうちにそういう世界にいるみたい。
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