鍵
魔法の鍵、魔法の杖、魔法・・・お守り、なんでもいいけれど、
これさえあれば、私は大丈夫というものを求めてしまうことがあると思う。
でも、それは、もう、みんな(全員が全部)初めから持っている。
生まれたときからずっと手にしている。
それに気が付くときには、
まず、気が付きたくなるような現実が目の前に展開される。
何度も同じような現実が繰り返されるか、そこで終わるかは、
気が付いて、対応を変えていくか?今のままで行くか?だけの違いと感じる。
気が付かなければ、鍵は、いつでも、手を変え品を変え、シグナルを出してくれる気がする。いつか気が付けるように。(でも、別に気が付くように強制しているわけではない。)
もし、気が付いたら、その次は、鍵は、自分の中にあるということを知りながら、そのように生きていくか?やはり、外に求めるのか?で現実が変わってくる。
どちらにせよ、気が付いていない状態とは変わっている。
そして、このステージも、試行錯誤を繰り返しつつ、行きつ戻りつするかもしれないけれど、そのうちに、知っているからそうやってしまう。それが自然という状態にもなる。
そうすると、なんだか大丈夫という感覚になる。安堵感にも似ている、そして、世界を楽しんでいける。そんな感じ。
今はもう、疑問の余地なく、
知っていることをやるというのが自然なんだ。わたしにとって。何しろ、それが自分にとって楽ちん、心地よいことだから。
それは、呼吸するのが当たり前になってしまったように。本当に自然な状態に。
今、世界には、”鍵は自分の中にある”そんなメッセージがあふれている。
今日、また、そう感じた。
今だからかなのかな?
どこを見ても、あちらを見ても、こちらを見ても、
そんなシーンに出会える。
幸せな時だな。
映画でも、歌でも、他の人の人生の中にも・・・メタファーはそこら中に散らばっている。
観たいなと思っていて、今日、やっと、観られた映画。
その映画も、そんな感じでした。
そういう映画ばかりが目に入る。
そういう映画や作品がいくつも作られているということは、そう感じている人が大勢いるということ。
幸せな時だな。
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